業界として若手を育てる

約30年前の話。
師匠である東建コーポレーション(株)の左右田鑑穂会長兼社長のご自宅の4階にしばらくの間、企業家見習いの修行を兼ねてお世話になり、その後、私は不動産業の会社を立ち上げた。
将来的には、いずれ私が父の会社の繊維産業を引き継ぐことになるだろうという心積もりがあったので、不動産業の傍ら、繊維の仕事も手伝いながら勉強することになった。
繊維産業の中で物を作って売るからには、まず繊維材料の仕入れだと単純に考えた。
そこで、仕入れ方法と仕入先を勉強したいと思ったが、将来会社を成長させる為には自社よりも大きな会社、出来れば地元泉州でNO,1の会社の社長のやり方を学びたいと思った。
地域で一番の会社は、当時のカネボウ㈱防府工場を買い取る話が出る程の力を持った会社で、丸竹繊維工業所(丸竹COの前身)より何十倍も大きな会社であったが、幸いなことに父とその会社の経営者である小島社長とは知り合いだった為、私は直接の面識は無かったのだが、思い切って電話をかけて訪ねていった。
不躾なお願いであったが主旨を説明すると有難いことに、「面白い子やなぁ!」「よっしゃ分かった!明日仕入に行くから朝8時に車で来てくれるか?運転手してくれ!」と快諾してもらえた。
翌朝、当時の大阪梅田(ダイビル)にあった日本合繊株式会社へアクリル原料を仕入れに行くのに同行させて頂き、仕入れ方法を教えて頂いた。
その当時の丸竹繊維工業所はアクリル原料をファイバーメーカーから直接仕入れできるような規模の仕事はしていなかったのだが、そうような仕事が出来る会社にしようと若造の私は意欲を高めた。
帰りの車の中で、小島社長は経営について話をして下さった。


① 「社員を持つなら厳しいばかりではアカンで!一人では限界がある。会社の拡大は人材次第やで!」
② 「支払いの信用は大事やで!」
③ 「売り先より仕入れ先の方が大事である!」
④ 「相手を儲けさせんと自分も絶対に儲からん!」
⑤ 「諦めんと長く続けることや!」

 

これらは今でも、私の経営の根幹をなす考えだ。
当時、駆け出しの私にとって、これから目指す泉州の社長の姿というものを見せて頂いた。
「まあ詳しくは、これからあんたが実戦で自分自身の道を切り開いて学んで行くことや」
最後に社長は、そう言って車を降りられた。
若さゆえの図々しさで押し掛けて行った私に、小島社長は経営者業について本音でアドバイスをして下さった。

それは自社や他社、敵や見方の関係なく、業界として若手を育ててやろうという心意気だったのではないか?と、今になって思う。

TPP参加や新興国の台頭で、日本の繊維業界が衰退してしまわぬ為にも、若手の成長は必要不可欠である。
私が多くの方々に育ててもらったのと同じように、年長者は自社社員だけではなく「業界の若手」を育てる責任を担っているのではないだろうか?
微力な私が出来る事はそう多くはないが、私が師匠や先輩方に教えて頂いた事や、私の経験、考え方など、失敗も含めブログに記していこうと思っているので、それが誰か一人でもこれから成長して行く若い人の参考または反面教師になればいいと思っている。