変わり者

立花克彦 5歳頃
立花克彦 5歳頃

自覚してないのだが、どうやら私は変わり者らしい。
私のどの辺が変わり者なのか?と知人を追及すると、「どこか一箇所、凄く変わっている部分が在るのではなくて、全体的に少しずつ変わっているから、トータルするとだいぶ変わり者」と言われた。
いつから変わり者になってしまったのだろう?と首をかしげていると、親戚の伯父さんが、「あんたは子供の時から変わり者やったで」と、こんなエピソードを聞かせてくれた。


私が2歳の時、母方の亀田家の曽祖父が98歳で永眠した。
そのお葬式の席で聞いた御経に私は大変心惹かれた様子で、目をパチクリさせながら御経に聞き入っていたそうだ。
それからというもの月参りで住職さんが来られると、アイドル歌手を出迎えるがごとく喜んで迎え入れ、住職さんの横という特等席に座って、御経に聞き惚れていたそうだ。
また、たまたま当時は一時期、般若心経のブームだったらしく、テレビやラジオから偶然御経が流れた時などは、寝ていても起き出して耳を傾けていたそうだ。
その他にも偶然どこかでお葬式をしているのを見つけると、まるで遊園地にでも行くように、「俺もお葬式に行きたいー!」とせがみ、「知らないお家だから」と祖母が断っても「連れて行ってくれー!!」と泣きながら手を引っ張っていたらしい。
3歳になる頃にはいろんな宗教の経文の一部と、般若心経の前文後文を含めた全文を暗唱できたらしい。その後、小中学生になっても御経好きは続いて、いつしか気が付けば神主さんの祝詞や祭文、また浄土真宗の阿弥陀経や真言宗のお経も大体一通りは暗唱出来るようになっていた。
まさに「小僧、習わぬ経を読む」で現在でもほぼ記憶が残っているので、法事の際には呼んで頂いたらアルバイトで御経を上げさせて頂きます。 笑

 

その他にも、大工であった母方の祖父の道具箱からこっそり金鎚やらノコギリやら持ち出し、コマ付き自転車の荷台に道具を括り付け、近所中の板塀や壁に釘を打って回ったそうだ。真向かいの安宮さん宅は一番被害が大きく、無断で上がり込んだ私に玄関の敷居をノコギリで切られ、続いて大黒柱に釘を打ち込んでいる私を発見して仰天したそうだ。

あと記憶にあるのが、自分のコマ付き自転車を道路の溝に投げ落とし、その自転車を見つめながら悲しげな顔でたたずみ、大人が声を掛けて来るのを待つ・・・という遊びを気に入ってよくやっていた。
心配した通りすがりの大人が「だいじょうぶか?落ちたんか、拾ってあげよ」と自転車に手を出すと、待ってましたとばかりに「俺の自転車に触るなー!俺は交通事故ごっこをしてるんやー!!」と怒りながら叫ぶのが一通りの流れなのだが、あまりに何回もやり過ぎて、そのうち「あの子の自転車に触ったらアカンで」と先回りして大人に警告するオバさんまで出て来て、つまらなくなって止めてしまった。


うんうん、思い返せば私はやはり変わり者かもしれない。
そしてなんて傍迷惑な悪ガキであろう。ご近所の皆様、謝ります!
しかし大人になった今、あの頃の心境を言い訳すると、母が病気で祖父母の家に預けられ、誰かに構ってほしくて、けれども実際に構われるとどうしていいか分からない天邪鬼であったのだ。ちなみに近所中に釘を打って回ったのは、大工の祖父に憧れて真似をしてみたかったからだし、御経が好きだったのは、リズムや文句が子供心ながらにカッコイイと思ったからだし、変わった事をするにも、一応私なりの理由があるのである。