試合前夜

私の人生の中で昭和54年3月31日(土)の夜ほど、緊張のあまり寝付けなかった夜は、かつてなかった。
というのは、翌日の4月1日(日)が第一回全国高等学校柔道選手権大会の当日だったからである。
この大会は、高校柔道において戦後初めて行われる春の全国大会であり、前々年の昭和52年に開催が決定してからというもの、全国の柔道強豪校が優勝を目指して火花を散らしていたのである。
ご多分に漏れず天理高校柔道部でも加藤秀雄・野村基次・松本薫の三名の先生の指導のもと「どんなことが有っても第一回の優勝を飾り、さらっぴんの優勝旗を絶対に持って帰るぞ!!」と、猛練習をスタートさせたのであった。

 

当時の練習を思い出すと、今でも体が震える気がする。
35年近くも前の話なので、私の学生時代と現在とではもう随分違うだろうが、あの当時は1年間の内に355日くらい練習があり、休みは10日くらいしかなかったように記憶している。
平日はまず朝5時55分に起床、6時から立ち技を1時間・寝技を30分、準備体操と打ち込みを入れると合計約2時間弱みっちり練習するのである。
その後、朝食を取り掃除をしてから登校するので、毎回始業時間にギリギリ滑り込むような生活であった。
帰寮すると今度は午後3時30分より打ち込みを約30分間、また立ち技・寝技を各1時間、研究を30分、その頃には気力のみで体を動かして筋力補強を30分と合計4時間余り繰り返すのである。
この時点で、準備体操を入れると約6時間すでに練習している訳で完全にヘトヘトなのだが、これではまだ一日の終わりを迎えることが出来ず、午後10時の点呼後には、最後の力をなんとか振り絞って、また約一時間の自主筋トレを行うのである。
しかし平日は学校が有るのでまだこれくらいなのだが、土・日や長期の春・夏・冬休みは朝練を入れると3部練習になり、朝から晩まで練習漬けである。
当時、学校が休みの日は楽しみの日では無く恐怖の日であり、休みなど来てくれるな!と真剣に思ったものである。ちなみに修学旅行先ですら、柔道部は朝練があった。

 

話しを始めに戻そう。
全国大会を翌日に控え、私は布団の中でまんじりとも出来ずに居た。
心が奮い立って武者震いをしたかと思えば、次の瞬間には緊張して足が竦んだりした。
明日の為にも早く寝なければならない!と焦れば焦るほど、逆に目が覚めていく。
他の選手たちも同じ気持ちだったのか、あちらでも、こちらでも寝返りを繰り返している。
「おーい。起きてるか?」
そう声を掛けると「起きてるで」「俺も」「俺も起きてる」「寝られへん」と次々に声が上がった。
結局、誰一人寝れずにいた。
早く寝なければ・・・と思いながらも、気を紛らわす為に雑談していると、それに気づいて松本薫先生が部屋に入ってこられた。
「おまえら!緊張で寝られんのか?」
喋ってないで早く寝ろ!そう叱られると思って身構えたが、続く言葉は予想と違った。
「眠られんのやったら、別に眠らんでもええやないか!」「朝まで適当に遊んでたらええのや!」「お前らは、あれだけ練習したのやから、もう一日や二日くらい眠らんでも絶対に優勝できる!」「心配せんでいい!先生が保証してやる!」と言い残して部屋を去って行かれた。

その言葉を聞いて一瞬にして自信を取り戻したことを、今も鮮明に思い出す。
「そうか、俺たちは1日ぐらい寝なくても、優勝出来るほどの練習をして来た!」
「だいじょうぶ。俺たちは日本一練習をした!」
そう安心すると眠気が襲って来た。
その後は、みんなが催眠術に掛かったように朝まで爆睡出来た。
そのお蔭もあり翌日は冴えた頭と体で全国優勝をさせて頂くことができた。

 

あの苦しい練習漬けの日々を、逃げ出さず最後まで遣り通したという経験は、今でも私の自信になっている。その経験があったから今でも、どんなに苦しい時や忙しい時でも諦めず、毎日繰り返せるのである。