明けない夜は無い

「スランプ」 これは仕事においてもスポーツにおいても、ある一定の成長期間を経過すると、誰もが体験する避けられない事であろう。
私がスランプを初めて本格的に経験したのは、やはり柔道であった。

 

スランプには原因の解っているスランプと原因の解らないスランプとの2種類がある。
原因の解っているスランプは原因がはっきりしているのだから、まずその原因を取り除くことに全力を注げばいい。
たとえ、それが一朝一夕に解決できないようなことであっても、あまり人のアドバイスや周囲の目を気にせず、最初は自分なりの考え(信念)でやってみることである。
誰しも直感があるので案外それで解決することが多々ある。
自分の考え通りにやってみて、それでもスランプを抜け出せないのであれば、その方法は間違っているのだから、貰ったアドバイスを参考にやってみる。
この順序が私のやり方であり、まず最初に自分の信念を通してみないと気がすまない。
最後の責任は自分自身に有るのだから、まずは自分の考え通りにやってみたいのである。
その為、先生や先輩が私にアドバイスを与えても、私はいつも半分聞き流しているように見えたらしく「体を斜めにして人の話を聞くな!」とよく怒られた。
そこで「先生!誤解です!左側ばかり鍛えたので、体が自然と斜めになるんです!」と言い訳していたデタラメな私である。
誤解の無いように申し添えるが、先生や先輩からのアドバイスや叱責には、納得した時には丁寧に「ありがとうございます」と頭を下げた。

 

次に原因の解らないスランプについてであるが、原因が解らないだけすごく厄介である。
しかし人の一生には何度かの肉体的・精神的な変わり目があって、それを境にして上り調子になる時と下り坂になる時があるようだ。
言い方を変えれば肉体的・精神的な「調子」が狂ってしまう時であろうか?
そして肉体的・精神的な変わり目は、ほぼ本人には自覚がない。
一年二年……と相当長期にわたってスランプが続くことがある。
そういうときは、何とかしようとアレコレ手を出して動き回るよりは、じっくりと腰を据え、肉体的・精神的な調子が回復するのを待つ方が良いと思う。
ジタバタしないことである。

丸竹コーポレーションの前身、初代「立花屋」の立花きくえおばあちゃんが、「明けない夜は無いし、必ず春はくる」と、よく言っていた。
人生には四季があり春夏秋冬と移り変わりを繰り返す。
何もかも上手くいく時期もあれば、何をやっても裏目に出る時期も人生には必ずある。
手が、かじかむような真冬には、本当に春なんてやって来るのだろうか?と信じられなくなるが、それでもやっぱり時間が経てば、春はやって来るのである。