真実の付き合い、実用の付き合い

ただの知り合いというだけで、安易に物事を他人に依頼しようとする人がいる。
また何か頼み事がある時にだけ、連絡を取ってくる人がいる。
「持ちつ持たれつ」と言う言葉があるがそうではなく、一方的に自分のしてほしいことや、やりたいことばかりを主張する人を多々見受けるようになってしまった。
昨今の日本の風潮を見ると、「侘び」、「寂(さび)」、「控え目」、「謙虚さ」、「礼儀」を美徳とし、またアイデンティティーとして生きてきた日本古来の思想と良さが失われつつあるように思う。

 

ところで、異業種交流会の席で興味深い話を伺った。

世間から「鬼才」と評されるほどの凄腕社長の逸話だ。


その社長は中小規模の出版社の社長なのだが、PCの爆発的な普及により、紙書籍が減少しつつあるこの時代においても、劇的に業績を伸ばしているそうだ。
この話には、登場人物がもう一人いる。
気難しい大物作家だ。
この作家の出版元になるのは、大手出版社であっても至難の業で、入れかわり立ちかわり数多くの出版社が何度も依頼しに来ては、その度に足蹴にされているらしい。
ところが先に紹介した社長は、初めての対面で、しかももほんの数分で、この大物作家の出版元になる了承を取り付けた。
あの気難しい作家を、いとも簡単に「YES」と言わすとは!
世間は驚いて、この話は随分と話題になったらしい。

 

なぜこの社長は、大物作家をあっさりと懐柔出来たのだろうか?
そこには、こんな裏話があった。


社長は、その大物作家がデビューしたての頃から、作品が発売されるたびに購入してはその感想を手紙ににしたためて送っていたらしい。約20年以上に渡り毎回必ずだ。
社長と作家が対面したのは、この時が初めてであったが、きっと二人の間では旧知の親友が如く通じ合っていたのであろう。

 

ここから先は私の想像だが、その社長は「いつか出版元にしてもらおう」との下心があって20年間以上も手紙を書き続けていた訳では無いだろう。利害など関係なく、ただ気持ちを伝えたかっただけだろう。
それこそが「真実の付き合い」だと、私は思う。
反対に、用事がある時にだけ付き合いをするのは「実用の付き合い」とでも呼ぼうか。
用件が有っても無くても日頃からこまめに顔を出したり、、時候の挨拶で近況を伺ったりする。
そうする事で、私はあなたを気にかけていますという気持ちが言葉に出さずとも伝わるものだ。
そのような「真実の付き合い」をしていれば自然と信頼関係も出来上がる。
そういう間柄であれば、何か頼み事をされても、「この人の頼みなら」と、損得なしに快く受け入れる気になるものだ。

 

私は、勉強になる話を聞かせてもらった時や、初対面の人と会って意気投合した時や、忙しくて会えないけれど忘れずにいるという事を伝えたい時など、手紙を書いて送るようにしている。
手紙と言っても、仕事の合間に書くので短い文章でハガキだったりするのだが、とりあえずその時の私の気持ちを書いて送っている。
そうする理由は、「真実の付き合い」をしていたいからである。