困った時はお互い様

未曾有の災害であった東日本大震災から約2年の月日が経ちました。
お亡くなりになられた方々に深く哀悼の意を捧げると共に、被災地の皆様におかれましては、まだまだ大変な状況に変わりはないと思いますが、一日も早い復興をお祈り申し上げます。微力ではありますが、今後も継続して復興支援させて頂く所存です。

 


さて、私は震災関連の仕事をさせて頂いている関係もあり、ボランティアや支援活動などに参加させて頂くことが度々ある。
東日本大震災では、外国人ボランティア達との会話で印象的なことがあった。

 

3月11日の震災後、世界各国からボランティアの方々が日本に訪れてくれたが、その当時は関東より北の空港が使えなかった。その為に多くの外国人ボランティアが関西国際空港経由で東北入りをした。
私は、その方々の送迎と陸路乗り継ぎのお手伝いを異業種交流会の皆さんとさせて頂くことになった。
航空会社の方から引き継いだ後、切符を手配しJRのボランティアの方と同行し駅まで案内するというものだった。
私は日本語以外ろくに話せないので普段の饒舌は鳴りを潜めていたし、外国人ボランティア達も移動の疲れや緊張があったのか互いに口数少なく、ただ漠然とお弁当やサンドイッチとお茶・コーヒーをお渡しして、簡単な挨拶をかわして見送るだけの繰り返しであった。

 

しかし帰路の際は違った。
飛行機の出発時刻の関係で、時間に余裕があったのも要因だが、一様に同じ質問をほとんどの外国の方から受けた。


「なぜ日本はこのような事態でも略奪や暴動、窃盗、治安悪化が起こらないのか?」
「世界各地にボランティアに行ったが、こんな事はこの国だけだ。」と。

 

私は、どう答えて良いのか悩んだが、とっさに
「日本の精神文化とアイデンティテーの中に、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌という概念があり、そのうえ農耕民族であるが故に共同体意識が高く、昔から相互扶助という文化が有り、それから起因する道徳性の高さからです。」と答えた。
先にも書いたように私は英語は出来ないので、通訳の方を通しての会話である。
その通訳のかたは専門の方ではないのだが、何とか私の言葉を伝えてあげようとかなりの時間と全精力を費やしして、身振り手振りを含めて挑んでくれた。
しかし完全には伝わらなかった。
通訳の方の「何か簡単な言葉で説明できる日本語は無いですかねぇ?」という問いかけに私も必死で考えた。
そこで苦し紛れに思いついたのが「困った時はお互い様文化」という言葉だった。
通訳の方はまたもや必死で全精力を注ぎ、忘れている単語も思い出さんばかりに奮闘してくれた。
外国人たちが、うんうんと頷きながら耳を傾けている。
どうやら通訳の方の頑張りの甲斐があって 、通じたようだ。
胸を撫で下ろしていると、話を聞き終えた外国人の方が満面の笑顔で私に握手を求めてきた。
そうして突如「オ・タ・ガ・イ・サ・マー!」と口にした。
私も丁寧に頭を下げ「サンキュウベリーマッチ」というと、「ア・リ・ガ・ト・ウ」と返事が返ってきた。
そして一同、爆笑に包まれた見送りとなった。

 

後で聞いた話だが「日本人のほとんどは聖書を読んだことが無いはずなのに、ちゃんと聖書に書いてあることが出来ている・・・。お互い様の文化は聖書にも通じる素晴らしい文化だ・・・。」みたいなことを、外国人の彼らは言っていたそうだ。

 

それを聞いて、先年亡くなったインドのある高名な宗教家の言葉を思い出した。
「神は一つ、あなたの信じる神に手を合わしなさい。」
信じる神は違えども、信じて祈る気持ちは皆同じ・・・・と私は勝手に解釈をしている。

またこの時の事は、共通言語を踏まえて人と人が語り合い、互いの理解を深め合うことがいかに大切かを再認識させられた出来事であった。
人は「違い」にばかり目が行きやすいが、「共通する部分」「通じ合える部分」も沢山あるだろう。
そちらの方へ目を向け、互いに理解し合えれば「助け合い」や「お互い様」で、地球上から紛争や戦争、外交・領土問題も無くなり、きっと平和な地球になるのではないだろうか?
理想論だろうか?
しかし、そうなって欲しいと祈るばかりである。