二人のがばいばあちゃん

「驚愕するほどの凄まじい生きざまのおばあちゃんの物語」
・・という広告に魅かれて、何年か前に漫才師・島田洋七氏の「がばいばあちゃん」を読んだ。
驚愕する気持ちは起こらなかったが、懐かしい想いが湧いた。
私の祖母も、近所の悪ガキをほうきを持って追い掛け回したり、男達に混じって働くような、がばい(すごい)ばあちゃんだった。

 

私が幼い時に預けられていた母方の祖母は、とにかくお金と仕事には厳しい人だった。
その時代の皆がそうであったように、兄弟の多い貧しい家庭で祖母は育ったそうだ。
 人一倍の働き者で、私を背負って家業の大工仕事を手伝ったり野良仕事をしたりするものだから、お蔭で祖母が背中を曲げる度に私は胸が圧迫され苦しかった記憶がぼんやりとある。

「男から仕事を取ったら何も残らへん」「男の金の無いのは首が無いのと同じやで」などと幾度も聞かされた。
そんなわけで、男にとって「仕事」「金」は必要不可欠なモノなのだと、子供ながらに理解した。
祖母のその言葉は、今も私の衷心になかなかの存在感を放ちながら常駐している。

 

私を躾ける際にも「金」の話が出て来た。
「子供の時にゴミ拾ろたら、拾た分だけ大人になったらお金ひろうで」「朝早く起きたら道にお金が落ちてるで」など。
今考えると笑ってしまうが、その当時は本当に一人で早起きをして、誰にも取られまいと目を皿のようにしてゴミを探し歩いていたので、私の本来の目的を知らない第三者が見れば良い子だったかもしれない。

 

一方、父方の祖母である丸竹COの前身立花屋を創業したきくえばあちゃんは、優しく大らかで信仰深い人であった。

年長の子供に、「お墓の下には人骨があるんや」と聞かされて怖がる私に、「恐ないから墓参りに付いておいで、ご先祖様の骨があるからアンタが生まれて来たんやで」と話してくれたり、「神様も仏さまもほんまに居てるで、見てるで」と教えてくれたりした。

 

こんな事があった。
骨董屋の店先に飾ってあった大きな壷を、私がやんちゃを働いて割ってしまった。
驚きと後悔と罪悪感で泣き出した私を祖母は「だいじょうぶやで。この世であったことはこの世で納まる」と慰め、何の愚痴も言わずに弁償金を支払ってくれた。

「この世であったことはこの世で納まる」
これは祖母の口癖であった。
祖母に相談に訪れた大人たちも「この世であったことはこの世で納まる」と言われると、皆どことなく安堵の表情を浮かべて帰って行った。
私自身もいつもこの言葉を思い出し、心のより所にしている。

 

こうして思い出せば二人の祖母から、お金のこと、仕事のこと、心がけや信仰心、感謝の気持ちなど沢山のことを教えてもらった。
自分が教えてもらったことを、私はちゃんと次の世代に継げられているだろうか?
心の中で問いかけてみると、「まだまだアカンわ」「そやな。アカンな」と笑ってるばあちゃん達の姿が見えた気がした。