業界の大先輩からのバトン

2016年 新年あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になり誠に有難うございました。

賜りましたご厚情に深謝致しますと共に、

本年も変わらぬご指導ご厚情のほどよろしくお願い申し上げる次第であります。

 

さて、年末の締めのブログに書きましたように「商売は感謝に始まり感謝に終わる」という想いから、本年第1回目のブログは「感謝」をテーマに書いてみたい。

 

実は昨年の春先に、若い頃からたいへんお世話になった恩人と言っても過言ではないS毛織のN専務という方がお亡くなりになられた。

急逝されたということもあって、N専務についぞ感謝の想いを伝えることは出来なかった。

それまでに何度も二人で話す機会はあったのだが、言いそびれている内に突然の悲報に接することになった。

最後に会ったのは亡くなられる1週間前、最後に電話でお話ししたのは亡くなられる2日前である。

なぜあの時の最後の電話で、たとえ一言でも感謝の気持ちを言えなかったのだろうかと今も悔やんでいる。

N専務との出会いは、これまでにも書いたが、

突然訪ねて行った若い無礼な私に、N専務は多大なるご厚情で力を貸してくださった。

これは出会いから20年以上経ったつい数年前に、冗談とも本気ともつかない調子で言われたことであるが、私を見た最初の印象は「生意気そうな粗野な若者」だったらしい。(冷汗)

図々しくも突然やって来て自説を延々と喋りまくる生意気な若い経営者を見ているうちに、

「話の内容はまだまだであったが、面白そうな奴だなと興味が湧いた。だから力を貸そうと思った。」と当時の気持ちを教えてもらった事があった。

 

未熟な私に力をお貸し頂き商売の道を広げてくれたN専務の当時の年齢を計算してみると、ちょうど今の私ぐらいの年齢である。

N専務は私という人間を信用してくださり、出会ってスグから相当量の仕事をくださった。

しかし未だに私はN専務にお礼が出来ていないし、感謝の言葉も伝えられないままである。

今にして思うことが一つある。

それはN専務が、出会いからお亡くなりになられるまでの期間のすべてを費やして、私に何かを託そうと思ったのではないだろうか?ということである。

というのは、以前受けた社長TVという番組の私に対する応援メッセージ欄にN専務が

「地場産業の発展にご尽力頂きありがとう。」と書き残してくれているのである。

しかし、まだまだ、ほとんど尽力など出来ていない私に対してである。

なぜこのようなメッセージを残してくれたのだろう?と推測すると「地場産業の発展に尽力すること」を私に託してくれたのかもしれないと思うのである。

もしそうであるならば私はその思いに応えたい。

しかしどうやって・・・?

それがぼんやりとしか分からず確証を得ることも叶わない今では、N専務の面影を心の中に浮かべて自問自答を繰り返すことぐらいしか出来ない。

しかしある時、ふと思ったのである。

「地場産業を営む自分より若い世代の人達を応援させて頂くこと」イコール「地場産業の発展に尽力すること」になるのではないだろうかと?

N専務が私にしてくださったことを次に繋げることが、N専務への感謝やお礼の気持ちを示すことになるのではないだろうかと思ったのである。

 

私には、いや丸竹には、目標が沢山ある。

「すべての社員やスタッフが物心両面で豊かな生活を送り、自分の将来に安心感を持てるようにすること」

「信頼される会社になること」

「社会から歓迎される会社になること」

「自社だけではなく、自社に関わる全ての人達の繁栄を追求すること」

「すべての社員やスタッフが自分に社会的価値を感じられる会社になること」

「ご指導ご支援ご協力してくださる皆さまの「義」に対して社会貢献という形で恩返しすること」

そして「地場産業の発展に尽力すること」

 

目標は沢山あっても、目標達成の方法は同じで、道は一つだと思っている。

その方法とは、

三方良しの精神を持って、社員やスタッフ皆が、それぞれ与えられた場所で最善を尽くすことである。

私は社長として先頭に立って皆を牽引して行く覚悟である。

その覚悟そして感謝の思いから新年最初の記事は、業界の大先輩であるN専務の追悼記事にさせて頂いた。

 

皆様方のご期待に添えられるよう、社員スタッフ一丸となって、より一層努力する次第であります。

本年も変わらぬお引き立ての程よろしくお願い申し上げます。

皆様のご健勝とご発展をお祈り申し上げます。