2015年

5月

24日

神頼みの男?!

私は、時間を見つけては神社仏閣参り・地蔵さま参り・お墓参り等によく出掛けている。

年間を通せば50回くらいは出掛けているであろうか。

そして社内にも、神棚の(天照大神さま・天之御中主神さま・高御産巣日神さま・神産巣日神さま)から始まり、母校の天理王命さま、会社の東西南北を護っていただく四神さま(青竜・白虎・朱雀・玄武)、鬼門さま(巽の金神)、阿弥陀如来さま、えべっさん、観音さま、お不動さま、笑鬼さま、

果ては、なぜかある日突然、会社の外壁に出現した七福神さま(誰かが置いたのであろうか?)や親鸞聖人さま・蓮如上人さま・達磨大師さま・弘法大師さま・天女さま等まで、御鎮座されている。

その他にも、鬼門封じや方違いのお札、風水の縁起物までもが沢山ある。

常に、車やカバンや机の中にもお守り類を入れている。

ありとあらゆる場所に手を合わせる対象が御鎮座されているので、一日に何度も手を合わせている。

また、外出先で道端の道祖神さまや神さま、お地蔵さま等を見つけると手を合わすし、

行者さま、神名流し、托鉢僧の方々に遭遇すれば、一期一会を感じて幾ばくかのお布施をさせて頂いている。

 

そのようなわけで、よく人から

「なぜ神様がこんなに沢山あるのですか?」

「仕事以外に何か宗教活動をされているのですか?」

と質問を受けることがあるので、その答を此処に書いてみようと思う。

 

*1「なぜ神様がこんなに沢山あるのですか?」

私自身が買ったものやお知り合いから頂いたものも数点あるが、ほとんどがご先祖さまの代からのものである。

かと言って、それらが私の持ちものになった訳ではなく、

あの世のご先祖さまのものを、私がお預かりしているだけなので、粗末に扱ったり処分したりなど、勝手放題は出来ない。

それは先祖からの名前や土地に関しても同じ事が言えると思う。

 

*2「仕事以外に何か宗教活動をされているのですか?」

私の人生の本分は、あくまでも会社経営者である。

いっさいの宗教活動はしていない。

 

*3「お墓参りに、よく行きますか?」

頻繁に行く。

今この世に私が存在しているのは、そこに眠るご先祖さま達のお陰である。

感謝の気持ちから、自然と足が向く。

 

 

自分が綴ったものを冒頭から読み返してみると、いかにも神頼みの男のようで恥ずかしくなってしまうが、実は手を合わせている間は、ほとんどの時が頭の中は『無』である。

それ以外ならば『感謝!!』と一言述べるか、私や私の周囲の人たちの『概念としての幸せ』を祈るぐらいである。

 

以前にも書いたように、万事を尽くしてからでなければ幸運は来ないと考えている。

だから努力ナシに幸運を期待するような事はしない。

しかし万事を尽くしていても、不運に見舞われることはある。

物心ついた頃から、母の病死を日ごと夜ごと怖れていた私の心には、不可抗力や自然的要因に対する根深い不安が棲み付いており、自分でも意識しないまま、その怖れから所構わず神や仏に手を合わせてしまっているのだろうか?


・・・と心の内を分析してみた次第である。

 

2015年

5月

17日

若者たちのチャンスの時代

とある新聞にあった社員の意識調査アンケートの結果を見てみると、

「定時に退社したい」、「責任を負いたくないから昇進はしたくない」、「給料は生活できる範囲でよくて多くなくていい」、「仕事上で車の運転はしたくない」、「休みは出来るだけ多くほしい」、「家族と過ごす時間が少なくなるので残業や休日出勤はしたくない」等の意見が上位を占めていた。

 

出世意欲が標準装備されていた世代の私の頭では、昇進したくない人がいるなんて考えもつかない驚きであった。とはいえ、休みが多く欲しい、残業したくないという気持ちは、自分も通って来た道だから分かる。

しかし、やはり仕事に対する価値観が大きく変化して来ているのを感じる。

その変化を「最近の若者は!」と偉そうに責めたところで、違う価値観を持った両者の溝は深まるばかりであり、どちらが正しい生き方かなんて正解は無いだろう。

しかし、意欲ある若者にとって、今はチャンスの時代なのである!

私の時代は100人いれば100人とも出世意欲を胸の内で燃やしていた。

目の前に階段が在れば、それを上らないという選択肢は無く、少しでも早く!少しでも上に!と皆が思っていた。

けれども今は、そうではない。出世意欲を持たない者が増えれば増えるだけ、競争相手は減り、自身のチャンスが増えるのである。

雨後の筍のように次々競争相手が現れた昔とは違って、今の時代は意欲ある若者にとっては、たちまち頭角を現すことの出来るチャンスの時代なのである。

またこのような世の中では、意欲ある若者は貴重な人材なので、企業側も重宝してくれるはずであろう。

 

 

現在、とくに中小企業にとっては雇用のミスマッチもあって、求人難である。

当社は今のところ何とかギリギリの線で人員確保できているが、製造業や営業、介護系を希望する若者は少ないという今の状況が今後も続けば、近い将来、当社のように都心部から離れた場所にある中小企業は、労働人口減少とともに益々「人材不足」に脅かされることになるだろう。

出世を目指そうという人材には、その努力が、報酬や昇格となって適切に反映され将来の展望が描ける企業作りをする一方で、企業側も意識を変えて、

上記の意識調査のように、ゆとりを持って働きたいという人には、一人一人希望の働き方に沿えるような枠を用意して労働力を確保するという両面の対応で人材不足を解消していかなければならない時代なのかもしれない。

 

2015年

5月

10日

柔道を振り返る

先月、私の母校である天理高校の天理柔道会ホームページがリニューアルされた。

とにもかくにも、最初にこのリニューアルに係った関係者の皆様等、先輩、同輩、後輩の方々のご尽力・ご丹誠に心から深謝申し上げたい。

皆それぞれにご自分の仕事を抱えながらその合間にリニューアル作製の時間を捻出し、会議を重ねてくれたのであろう。

HPをクリックするごとに苦労の痕が感じられ、頭の下がる思いであった。

 

不肖ながら当社も十数年前よりHP等のPR活動を更新や再編を繰り返しながら進めているが、この作業には多くの時間と労力がかかり、我々アナログ世代の人間にとって、なかなかの苦行である。

たとえば「とりあえずのテストサイト」を完成するだけでも、それまでには立案・デザイン・内容精査・構成等で連日の徹夜作業になる。

冒頭にも書いたが、ましてや今回のHPのリニューアルに係った関係者の皆さまは、各々に別に職業をお持ちになりながらの作業なのである。

若き日から続く母校の柔道への熱い思いがあってこその賜物であろう。

 

柔道から教えてもらった事は「試合でいかにして勝つか」といったような技術的な面だけではなく、厳しさや礼節を通して「心構え」「生き方」「信条」など人生の指針となる多くのものを教えてもらった。

技も心も体も鍛えて頂いた。

母校での3年間の柔道生活は、人生の不条理や素晴らしさを集約するものであったし、社会の縮図であった。

だからこの3年間は、50歳を過ぎた今であっても、穴ぐらから奮起する度に我知らず戻っていく心の原点である。

きっと私のように母校での柔道が「人生の礎」となっている卒業生は多いだろう。

 

また母校の柔道を通して出会えた方々との交流やお付き合いが、私の「人生の宝」そのものになっていることは言うまでもないが、社会に出て以降も、柔道を共通の話題として縁が出来たお得意先や仕事仲間なども非常に多く、実際に柔道をしていた期間は短いが、私の人生から柔道は切り離せないものとなっている。

 

ローマは一日にして成らずという言葉があるように、多くの方々の努力の積み重ねが柔道を、また天理柔道を作った。

歴史の1ページ1ページは多くの辛苦の積み重ねから出来ている。

そのような歴史という土台の上で柔道を学ばせて頂けたことに感謝し、今度は私が、未来の人たちの土台の一粒にでもなれたらと考え、末端ながら応援させて頂いている。

 

2015年

5月

04日

全体会議

私のように辺鄙な場所に工場を作り事業を営む経営者は、都会に本社がある会社に比べて如何せん情報量が少ない。

もちろん新聞やネット等で情報を収集してはいるが、生の情報を得るために、なるべく時間を作っては都会のお得意さまを訪問してみたり、小まめに多方面の会に参加させて頂いたりしている。

とは言っても、やはり少ない情報量を基にした「自分の経験と感」だけを頼りに会社運営を行うことが多いので、どうしても独善的な経営に陥りやすい。

そうでなくても私の性格上、ワンマン経営になりやすい。

それが良い方向に進んでいる間は問題ないのだが、いつ「独断と偏見」で間違った方向に暴走しださないとも限らない。

だから自分自身をたえず見直し、自戒を怠ってはいけないと常々考えている。

そこで改善策の一つとして今年から始めたことがある。

 

まず当社のような中小企業においては社員数にもゆとりはなく、私は社長業の専門職というよりは、社内でどんな仕事でもこなす総合職という位置づけであろう。

また同じ理由で各事業部長たちも各部門の管理者というのではなく責任者であり、その部門の実務のすべてを自らの汗と行動で先頭に立って行う部門総合職であろう。

これが今の当社の現状であり、私が考える中小企業の生きざまである。

それ故、各事業部長全員が時間を合わせて集合するというのは難しく、全員が顔を揃えるのは今まで創業記念日くらいであったろうか!?

スケジュール調整が難しく、年度末の打ち上げ、盆年会、忘年会等も各事業部別に行っていた。

そんな訳でこれまで、経営の方向性を決める会議や懇談は各事業部長と個別に行っていた。


しかし「第二の創業」をスローガンに革新を行い、シニア事業部の立ち上げを進め始めた頃から新しい考えが芽生え始めた。

人数が少ないという中小企業の特性を逆に生かして、多少の無理をしてでも各事業部長に集まってもらい話し合い、各部門の情報を全員が風通し良く共有し、違う部門からでも、違った側面から見える意見を互いに出し合って、取り込んでいける環境を作ろうと思った。

そうすることで、情報量も発想も格段に増えると考えた。

また集まった情報を経営者である私が1人で抱え込むと、どうしてもワンマンになってしまうが、共有することで反対意見も聞け、増えた選択肢の中から、より良い選択が出来ると考えた。

そして互いの事業部に関心を持って意見を交し合うことで、組織としての一体感を強め、社内の一丸化を図りたいと考えている。

皆のベクトルが揃えば力を結束して全社的な機能の向上が見られるようになってくれるだろうと信じている。

 

そういう訳で、月に一回(第3金曜日)、事業分門を再構築した上で監査役や顧問の方々まで含めて皆さんに集まって頂いている。