父との思い出

私の育った大阪府泉南市樽井は大阪府のほぼ南端にあり、車で南に約5分、西に約10分走ると和歌山県との県境に差し掛かかる位置にある。

大阪と言ってもかなりの田舎町である。

今でこそ、関西空港の対岸都市として大規模商業施設や高速道路・鉄道網等のインフラも整いつつあるが、市内の中心部より少し離れるとまだまだ田舎町の一端が即座に見て取れる。

和歌山との県境の山に少し入れば、昆虫の宝庫である。

自然のままの手付かずの森林が多く残っており、イノシシやタヌキ・キツネは言うに及ばず、オオタカの営巣地やオオサンショウウオの生息地が発見されることがあったり、まれに月の輪熊や鹿だって出る始末である。

 

そんな田舎であるから、私が子どもの頃には、半径500メートル以内の近所に昆虫採集を出来る場所が幾つもあった。

父と一緒に玉網と虫カゴを携えて、昆虫採集をした記憶もある。

当時の父は子供である私の目から見て、少なからず昆虫採集の名人であった。

私がいくら取ろうと思っても、偶然に玉網に入った時しか取れないのに、父が玉網を持つと、あっという間に虫カゴが一杯になった。

それどころかトンボは勝手に父の持つ玉網に飛び込んでくるし、蝶々は取ってくれと言わんばかりに父の面前をフワフワ飛ぶ。バッタも父に玉網で掬い取られるまでジッと大人しくしているのである。

これらの光景が当時、子供心に不思議でならず魔法でも使っているように見えた。

その後、確か小学3年生の夏休みだったと思うが、昆虫採集の奥義を父が教えてくれることになった。

まずトンボだが、これは縄張り意識が強く、いつも自分の縄張りをパトロールしながら円を描くように飛ぶ習性があると教えてくれた。

そのため玉網の棒の端を持ち、空に向けてクルクル回していると敵の侵入と勘違いして近付いて来て勝手に玉網に入るのだと教えてくれた。

蝶々は、草むらの同じコースを次々に飛んでくる習性があり、これを蝶道と言うらしい。

ここで待っていると採集するチャンスが次々に巡ってくると教えてくれた。

要は「追わずに待つ」という昆虫採集の奥義である。

またバッタは目が良く視野が広いので、真後ろから出来るだけ態勢を低くして、無理に近づかずに、息を止めて1メートル手前から刀を振り下ろす要領で掬い取るのだと教えてくれた。

 

父は当時、昼夜隔週交代の勤務体制の工場に勤務していたので、日中に睡眠を取る日も多く、あまり遊んでもらえる機会は無かったが、少ない休みを使ってこの他にも「釣り」「竹の子・キノコ・マッタケ狩り」「自然薯掘り」「栗やぎんなん拾い」「薬草の採集」などを私に教えてくれた。