2014年

11月

30日

酒と高齢者施設

現在当社は、サービス付き高齢者専用賃貸住宅(以下 サ高住と記載)の開設に向けて進行中であるため、必然的に高齢者施設に関する情報には目を止めてしまう。

先般テレビのチャンネルを変えた時に、印象的なシーンに出くわした。

どこかカフェテリアのような場所で、かなりお歳を召されたご老人の男性が、粋なバーテンダーの出で立ちでシェイカーを振っているのである。そのご老人を、これまたたいへんお歳を召されたご老人がたが取り囲み、カクテルが出来上がるのを、顔をほころばせて楽しげに待っているのである。

番組は、そのまますぐ終わってしまったので気になって調べてみると、バーテンダーの正体は、京都市にある特別養護老人ホームに入所する81歳の男性であった。

記事によると祇園の酒場で長きに渡りバーテンダーをされていたそうだ。

俳優の藤田まことさんが京都へ来られた時には、よく来店されて、お互い「ちゃん」付けで呼び合う仲だったらしい。

 

話が横道にそれるが、藤田まことさんと言えば2010年にお亡くなりになられたが、長い間、東建コーポレーション㈱さまのCMに出演されていた。

私が、東建の左右田鑑穂社長に師事させて頂いている関係で、藤田まことさんとはパーティ等で何度もお会いする機会があり、お話させて頂けた。

詳しい記憶は途切れがちだが10数年ほど前、話の流れで京都の話題になった。

その時私が「京都にはおふくろの菩提がありますので、よく参ります。」と申し上げると、「いい酒場があるから、また紹介するよ」とおっしゃって下さった。

結局紹介して頂くには至らなかったのであるが、もしかしたら、それは前記のご老人のお店のことだったのかな?と当時を懐かしく思った。

 

話を戻すと、このご老人は3年ほど前に認知症で入所されたとのことだが、とにかく明るい性格の方で、また職員の方たちに「何か手伝うことはないのか?」と口癖のように尋ねていたそうだ。

そこで職員さんの発案で、時節のイベントなど折々に施設内に酒場を設けて、そこのマスターとして、他の入所者さん達にカクテルを出すことにしてもらったのだそうだ。

酒場は、多くの入所者の方々に「好影響」を及ぼした。

例えば食欲不振の方が、おつまみであればすべて平らげてしまわれたり、今までほとんど寝たきりだった方が車いすに乗ってでも酒場を訪れるようになったり、認知症の進行が抑えられたりなど、数々の良い効果が表れたそうだ。

 

当社でもサ高住を開設するにあたり、入所者さま達のレクリエーションについても意欲的に話し合って来た。

しかし何故だか「お酒」というアイディアは思い浮かばなかった。

それは「酒と高齢者施設とは離れた存在である」と無意識のうちに思い込んでしまっていたからだ。

しかし考えてみれば、若かった時に「楽しい」と感じた事は、高齢者になってからも楽しいと感じる気持ちはある。たとえ昔と同じぐらい「楽しい」と思えなくても、嫌いにはならないだろう。

「昔のようにバーに行ってみたいなぁ」と思っても、高齢者はその機会がなかったり、遠慮があったりするだろう。年寄りは年寄りらしくしなければと、本人や周りが思ってしまうと、体だけではなく心まで老いてしまうのではないだろうか?

体が不自由になって高齢者施設に入所しても、心は若いまま、時にはお酒を飲んでワクワクしたり、面白がったりして欲しい!きっとそんな職員さん達の想いから、この酒場は誕生したのではないだろうか?

高齢者施設と酒という意外な2つを結びつけた職員さん達の創造力と想いが素晴らしい。

そしてもう一つ素晴らしいのが、職員さん達は、個人の出来ることや特技に目を向けて、

老紳士に「役割」を与えたこと。

年を取ると、職場や家庭での自分の役割を失い、自分の存在価値がわからなくなって行く。

しかし老紳士はバーテンダーとして他の入所者さん達に喜びを与え、施設にも貢献している。

お年寄りにとって誰かの役に立つという事は、「生きがい」につながるような大きな喜びなのではないだろうか?職員さん達の気づきとサポートで、一人のご老人の「生きがい」や「喜び」を作り出せたのだ。

 

高齢者たちは、老いと体の不自由と寂しさを感じながら毎日を生きている。

しかし日々の出来事を楽しむ心は、本人と周りの協力次第で持つことは出来る。

心はいつまでも若く、そしてたった一度しかない人生を豊かに味わい尽くす、そんなことが出来る施設を作るのが当社の目標である。

 

2014年

11月

23日

グローバルスタンダードについて

グローバリズムが世界を滅ぼす

先般、当社のお得意さまであるナカノ株式会社の代表取締役 中野博恭社長より「グローバリズムが世界を滅ぼす」という御本を御恵贈にあずかり拝読させて頂いた。

大阪の片田舎の経営者である私にとって世界経済は難解で、自分の知識不足を再認識させられることとなった。

しかし、このままではそう遠くない未来に必ずや日本経済は沈没するのではないか!?という事を読み取ることは出来、将来に対する危機感に襲われた。

その結果、頭に思い浮かんだ文言が「グローバルスタンダード(世界標準=アメリカ型経営)では、日本経済は世界経済に勝てない!生き残れない。生き残るためには日本独自の新しい経営戦術を生かした攻めの経営をしていくべきである」ということである。

 

戦後、幾多の浮き沈みを繰り返しながらも右肩上がりで推移してきた日本経済は、バブル崩壊を境に失速し始めると、その打開策として日本の経営者はこぞってグローバルスタンダードを取り入れ、企業側に一方的に都合のいいように生産効率を上げて、経済合理性のもと利益追求に走った。

行く末を模索しながら新展開(打開策)を図る行為は、経営者として当然の事だと思うし、また企業のすべてを数値化して、経済合理性を追求した戦略を練るのも間違ってはいない。

しかし実際には日本とアメリカでは文化や思想も違えば社会基盤や土壌、国民性、企業と顧客の力関係、会社と社員の関係性、仕事に対する意識など、なにもかも違っている。

それだけ多くのことが違っているのだから、日本企業がただグローバルスタンダードを真似したところで生き残れないのは当然なのである。

 

いま日本に必要なのはグローバルスタンダードをそのまま真似するのではなく、良い所だけを抜き出し自社のシステムに最も適合するように進化させること、それと並行して日本型の経営戦術の強みを追求することなのではないか。

私が考える「日本型の経営戦術の強み」とは、柔軟に、きめ細やかに、迅速に消費者のニーズに応える「需要主導型」である。

日本は織田信長の楽市楽座の時代から、商人たちがネットワークを作って消費者のニーズや評価を集め、製造業者(メーカー)に代弁することによって、製造業者は研究と改良を重ね、顧客や社会に満足して頂けるものを作りだして来たという物づくりの歴史がある。

 

またアメリカ型経営は「効率と利益追求」であるが、日本型経営は「社員の幸福の追求」であり、人を第一に考え大切にすることで社員の結束力を高め、強い組織を作る、

アメリカ型は株価至上主義だが、日本型は長期的観点で会社の存続発展を考えるなど、様々な違いがある。

経営者は日本の歴史の中で培われた経済システムを再認識して、アメリカ型経営と日本型経営の良い部分だけを選択して融合させ、日本独自の新しい経営戦術を作り出して行くことが必要なのではないか。

そして時には、かつての日本企業のように標準から外れた経営、つまり外部から見れば「分けのわからない経営」をしてみるのも戦略だ。

日本企業が世界中の企業を買収してしまうのではないかと恐れられた高度経済成長の時代に、海外の企業からは日本企業の戦略が、どうも理解しがたい「訳の分からない予想出来ない戦略」であったらしい。競合が発生すると利益率を犠牲にしてでもシェア(市場占有率)を、とりあえず取りに行くことなどはその典型的な日本型戦略であろう。


現在はアメリカが作ったグローバルスタンダードという土俵の上で、アメリカのルールに従い日本企業は戦わされている。皆がそうしているから自社も・・・と日本人は付和雷同だから皆と同調したがるが、その土俵から勇気を持って一人飛び出て、どうも理解しがたい「訳の分からない経営戦略」で攻めてみるのも、益々グロバール化して行く経済で日本企業が生き残る手段の一つなのでは?!と、大阪泉南の片田舎の経営者は思うのであった。

 

2014年

11月

16日

花を踏む

先日、朝刊に「菊祭り」の広告が載っていた。

この時期になると全国で菊祭りが開催されるのだが、その広告を毎年目にするたびに、私の祖母である「立花きくゑばあちゃん」を懐かしく思い出す。

もう何度か当ブログで紹介させて頂いているが、立花きくゑは、丸竹Corp.の前身である呉服屋「立花屋」の経営者である。

私の母が病気がちだったせいもあるが、祖母と過ごした時間は長かった。

祖母は、どこへ行く時にも私を一緒に連れて行ってくれた。

大人達の集まりにも、呉服の仕入れにも、私の手を引いて連れて行ってくれた。

その中でも毎年必ずと言っていいほど連れて行ってくれたのが、「大菊人形展」なのである。

 

今思うと、祖母は自分の名前に「菊」が付くのもあって、菊がたいへん好きだったのであろう。菊展を見に行くだけでは飽き足らず、庭で色々な種類の菊を大切に育てていた。

ところで私の家系は名字の「立花」もさることながら、「竹松」、「きくゑ」「竹雄」、「もも代」、「種子」など、植物に関係する名前を持つ親戚が多い。

そういう訳もあってか、「たとえ道端に生えている雑草の花であっても、克ちゃんは一生、花を踏んだらあかん!」と祖母から戒められたことがあった。

「なんで?」と私が質問すると、「お花にも命があって生きてるんよ。それにうちの家の名字には『花』が付く。克ちゃんは男の子やから立花の名前と家紋を継ぐ子や。だから花を踏むということは自分の頭を踏んでいるのと同じことやで!」と教えてくれた。

子供だった私は「そりゃ縁起が悪い!」と恐れて、一度も花を踏んだことは無い。

しかしある時ふと、祖母のこの言葉のもう一つの意味に気付いた。

 

花を踏むという行為は、弱い立場のものを大切にせず、粗末に扱ってもかまわないという気持ちの現れであり、そのような男は、回りまわって自分も同じような目にいずれ合う、そんな男になったらアカン!「障害者を、お年寄りを、社員を、下請けを大切にする」と言いつつ、足元の小さな花を踏んづける男を誰が信用出来よう。一事が万事で「花を踏む」という一事を見れば、他のすべての事を推察できる。

祖母は、そう教えてくれたのではないだろうか。

 

きくゑばあちゃんが「菊」を育てていたのを真似て、私も自分の名字にちなんで京都御所でも有名な右近の「たちばな(橘)」を一鉢育てている。

今年もたくさん実をつけて、ほのかな柑橘系特有の香りを楽しませてくれている。

 

2014年

11月

07日

与党と野党

当社の会長であり、また私の親父である立花竹雄は、物心がついた頃から釣竿を握り、齢80歳を目前にした今日になっても、趣味である魚釣りへの情熱は冷めやらず、毎週のように自分で船を操縦し海に出るのである。


ところで先般、「魚釣りに出かけた父が帰って来ない」と私の携帯に妹から連絡が入った。通常なら御昼過ぎには帰宅するのだが、午後3時を回っても帰って来なかった。

会社から海まではそう遠くないので車を飛ばして見行くと、魚釣りの後に地元のなじみの漁師の方とテトラポットで歓談している親父の姿があった。

車から降りて一息つき、妹に「心配ない」と報告の電話を入れた後、ふと空を見上げると、驚くほどの数の鳥たちが大きな群れとなって、同じ方向を目指して飛んで行くのを目にした。

悠然と飛ぶ鳥の群れを眺めながら、その日の朝に見た「政治とカネの問題、重要法案の審議遅れ」の新聞記事を思い出していた。

鳥でさえ一つにまとまって、先導役となるリーダーのもと規則正しく飛んでいくというのに、今の国会はなんて愚かしいのだろうか?バラバラではないか。

国会とは国民の代表である議員が、国民の福利のために法律や予算など重要な事柄を決める場所であって、野党が与党の挙げ足を取ってまわって、閣僚を辞任に追い込む場所では無いのである。

そんなことは国会の会期中ではなく閉会時にやってほしいと、大多数の国民は辟易していることであろう。

足の引っ張り合いに終始するあまり、重要法案の審議に遅れが出ていると文末には書いてあった。

今であれば、消費税問題を中心にした景気対策や円安・株安・災害関連法案などいくらでもやらなければならない法案審議が沢山あるはずである。

野党は、先の総選挙の惨敗以降、従来の「反対の為の反対」体質を脱し、一つ一つの法案に対して与党と歩み寄りながら国民の福利になることならば「是々非々」を貫いていくと標榜していたはずである。その時の決意は、どこに行ってしまったのだろうか!?

野党は与党の失策やアラを探し、ダメな与党というイメージをアピールし、自分たちの支持率につなげたいのではないかと愚推せずにはいられない。

我々国民も馬鹿ではない!

このように国民不在の国会闘争に明け暮れていれば、野党の支持率が伸びるどころか、益々、投票率も下がり無党派層が増えていくだけではないだろうか。

そして国民は(特に若者は)政治に関心を失い、日本という国に対して諦念を抱くようになるのではないか?そうなれば、いずれ国が滅んでしまうのではないか?

このように、国民は日本の将来を憂いながら、今の国会の動静を見ていると思うのだ。


そこで、審議が停滞するならいっそ2~3日完全に国会を止めてしまい、議員全員で海に出かけ、悠然と飛ぶ鳥たちの群れを眺めてみては?!と思わず皮肉を言いそうになった次第である。

 

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