2014年

9月

28日

不安と風水

私は、このゴリラのような外見から、なんでも勢いで突き進むようなタイプに誤解されがちなのだが、実際は不安症で、この石橋を渡っても安全なのか、何人も専門家を呼んで検証してもらってからしか渡れないようなタイプの人間なのである。

であるから、事業についてもリサーチと検証を繰り返して、裏付けを怠ることはないし、不測の事態への準備(保険等)も欠かさない。

そうして一度「やるぞ!」と決めたことは、座右の銘の「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」の如く「命のあらん限りは」の覚悟で取り組んでいる。

しかし、それでも多岐の項目に渡り、不安が絶えず私の胸をよぎる。

不安が現実とならないように対策をして、一つ一つ不安の芽を摘み取っているが、対策を全て遣り尽くしても、不安が消える日はない。


そんな私の気持ちを一時でも解消してくれるのが「風水」や「げんかつぎ」なのである。

げんかつぎの例を一つ挙げてみると、日光東照宮陽明門では柱12本の内1本だけを逆さにしているそうだ。古来では完璧なものには魔が潜むとされていた。それに「建物は完成した瞬間から崩壊が始まる」と昔の人は考えていた。だからあえて未完成の部分や間違いの部分を造ることにより「いまだ未完成である」とし、難を逃れ益々の発展を遂げれますようにとの願いが込められているのである。

 

当社の新規事業である「サービス付き高齢者向け住宅」であるが、おかげさまで関係各位さまのご協力を得て事前書類もほぼ整い、来年の節分明けの着工に向けて邁進させて頂いている。

これを建設する際にも縁起を担いで、屋根の隅の一部分(もちろん安全基準、保安基準に一切抵触しない部分)を、あえて未完成にする予定である。

 

ちなみに下記の写真に写っているのは顔色の悪い私ではなく、当社の裏庭の様子である。

大黒様の周りに置いてある瓦を見て頂きたい。これは本社事務所を改装の為に取り壊した時に出たものなのであるが、それを片付けずに置いておくことで工事はまだ終わってないですよ、未完ですよとして、縁起を担いでいる。(屋根の上には安全上、設置出来なかった)

また、この竹は植えたのではなく、この土地を買った当初から生えていた。

竹は強靭な繁殖力を持つために管理するのが大変だから抜いた方が良いと勧められたのだが、社名である「丸竹」の中に入っている竹を抜いてしまうのは、縁起が悪いと思ったし、竹自体は延命・長寿の意味がある縁起の良い植物なので、かなり面倒なのだが抜かずに定期的に手入れしている。

 

思いつく全ての具体的な対策を講じて、風水で験まで担いだら、よし!人事は尽くしたぞ!後は天命を待つのみ!と開き直って、少し心が軽くなれるのである。

 

2014年

9月

21日

人間万事塞翁が馬

私が好きな中国の故事で「人間万事塞翁が馬」というのがある。

【読み】  にんげんばんじさいおうがうま 

【意味】  人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。

 

今回は、「人間万事塞翁が馬」を地で行くような経歴の持ち主、Y先輩の人生をご紹介したい。

このお方は、私が公私に渡りお世話になっている方で、天理柔道の大先輩なのである。

この先輩はスペインに移住され、現地で日本料理店を6店舗展開されるなど大変ご活躍されている先輩である。また、バルセロナでは日本人会会長まで歴任されている方なのである。

ここからは私の記憶を辿ることになるので、若干の内容の差異やブレをお許し願いたい。

 

まずこの先輩は天理大学柔道部を卒業されるときに、事情があって希望する職種に付けなかった。

結果、就職浪人となり、希望する職種を来年度に再度目指すことになった。

しかし卒業後、1年間無職というわけにもいかず、大学教授の計らいもあり、文部省と講道館からの推薦で、1年間の約束でフランスへ「柔道の海外普及と発展」を目的として、講師として派遣される事になった。

けれども当時の待遇は充実したものではなく、その上、知っているフランス語なんてボンジュールぐらいである。まあ何とか苦心惨憺の1年が過ぎて日本に帰国し、日本で就職できると思った矢先、今度は国際郵便の不都合で就職試験願書が日本に到着していなかったのである。

そこで再度、今度はスペインへ2年間、講師として派遣されて行くことになった。

少しばかりフランス語が話せるようになったと思ったら、また今度は一からスペイン語を勉強しての生活である。ここでも苦心惨憺の2年間が過ぎたようだ。

これでやっと日本に帰れると思った矢先、今度は日本から就職に際してなかなか快い回答が返ってこない。理由は、当時まだ公務員の定年退職年齢が58歳の時代に3年間の就職浪人期間があれば難しいという事であった。

なんていう事だろう!

ここまで続くと、普通は自暴自棄になりかねないであろう。

しかしY先輩は凡人とは違った。

帰っても仕事がないなら、ここスペインの地で何とかやってやろうと考えたらしい。

語学も充分ではなく、後ろ立てのない自分に何があるのだろう?と考えた時、思い浮かんだのが「料理の腕」であった。

当時の天理高校や天理大学の柔道部は、一年生の時には当番制で週に2回、寮の食事当番が回って来て、賄いのオバちゃんと一緒に炊事をするのである。その結果、私もそうだが、料理の腕が身につくのである。

Y先輩は、柔道の講師としてスペインで過ごされていた時に、宿舎に来られた方に、何度か、自分なりの日本料理を御馳走したらしい。その時の反応と喜びようが、すこぶる良く、その時から何らかの感触を持っていたらしい。

異国であるが故、言葉の壁、文化の違いなどを筆頭に、はかり知れないほど多くの困難や紆余屈折が有っただろうが、柔道で養った持ち前の精神力と執念で歩まれて、その後、苦労の末なんとか日本料理店を立ち上げられた。

「まさに右も左も分らない状態のまま走っていたが、その当時、スペインでは日本料理店はほとんどなかったから、物珍しさも手伝って、何とか今日まで潰れずやって来れた。」はご本人の弁である。


またほかにも、同じように「柔道の海外普及」という立場でフランスへ派遣され、その後、現地に残り、現在は日本の大手航空会社の現地マネージャーとして大変ご活躍されているH先輩という方もおられる。


この方々は知り合いの中でも、特に「人間万事塞翁が馬」の方々である。

しかし、これに近いことやこのような出来事は、ことの大小は別にして、誰にでも何度でも人生の中で起こりうることである。

こういう出来事には、人智を超越した何か大きな力が働いて、人の一生を導いているような気がしてならない。

超自然的な大きな力の前で、ヒトが出来る事と言ったら、思わぬ不運に襲われたり、窮地に陥っても、「これぐらいの事は大した事ではない!」「この悪い事は、次ぎ起こる良い事の前触れだろう!」と前向きに生きること、諦めないこと。上手く行っている時は、奢らないこと、感謝することぐらいではなかろうか。


2014年

9月

14日

おしゃべり

私は無口な男だ。

と書いたら、私を知る人達から「どこがやねん!!!」と一斉にツッコミが入りそうほど、ハイ、私は口は堅いが、おしゃべりな男です。


「今日も暑いですね」と一言、気候の話を振られれば、「昔と天候が変わって来ましたね。私の子供時分は、お盆前後の数日間が暑いだけで、こんな暑さじゃなかった。クーラーなんて自宅に無かったですからね。でも高校は私学でしたから、35年ほど前でも教室にはクーラーが付いてたんです。ウンタラカンタラ~」と、懐かしの昭和時代をあれこれ語ったあと、相手の反応を待たずに、「最近のゲリラ豪雨は、まるでシンガポールのスコールみたいですねぇ。そうそう!シンガポールと言えば、税金対策で移住する日本人が増えているようですけど、それって私は反対ですね。なぜならですね~ウンタラカンタラ~」とまた自論を展開した後、「そういえば鎌倉時代の元寇は、日本は台風に助けられたと言われてますが、元寇のあった11月と6月に台風が来ると思いますか?私の見解としてはですね~ウンタラカンタラ~」と大好きな歴史の話を喋りまくった後、自分ばかりが延々と喋っていた事にハッ!と気が付いて「そう言えば、今日は、どのようなご用件で??」とようやく問う。

毎回こんな感じなのであるから、私は相当なおしゃべりである。


私のマシンガントークは、聞いてる方が窒息しそうになるのか、私が話を終えると、「はふぅぅぅぅ」と溜息や深呼吸をこっそりされる方が少なくない(笑)

「息、吸ってる?」と聞かれるぐらい、私の話には「間」というものが存在してないようで、先日仲の良い友人から以下のような苦情が来た。

 

「お前がAの話をしてる時に、俺もそれについて意見があって言おうと思ったけど、お前は立て板に水だから俺の入る隙間が無い。仕方が無いからお前の話が一旦途切れるのを待ってたら、いつの間にかBの話に変わってて、気が付いたらCの話まで話し始めてる始末や!Cまで話が進んでるのに、Aまで話を戻して意見するのは、なんだか鈍重な感じがするから、結局自分の意見は言わないままその場は終わる。そんな事が毎回続くとストレスが溜まるねん!!

 

友人の訴えを聞いて、私は「悪かった!いつでも割り込んで来てくれ!割り込みにくい時は手でも上げてくれ!そしたら黙るから!」とお願いしたが、きっと彼と同じような被害者は他にも沢山居らっしゃることだろう。

私が絶好調で喋っていても、どうぞ遠慮なく、割って入って、ご自身のストレスを溜めないようにして下さい。

私も反省して、彼とその後電話で話した時、トークの「間」を空けるように気を使っていたら、「間」のたびに「もしもし?もしもし?おい立花?」と彼が通話を確認するので「聞こえてるよ」と答えると「お前が無口だと、電話が繋がってないんか?と不安になるから、いつも通りの間で話してくれ!」とまた苦情が来た。

いったいどうしたらいいのだ!笑

 

「立花と電話で話してる最中にトイレに行きたくなったから、こっそり受話器を置いて、トイレして戻って来たら、立花まだ一人で喋り続けてたことあるぞ。」

と冗談とも本気ともつかないような事を言われるほど、私はおしゃべりで、そしてこのおしゃべりは、きっと今後も変わる事がないだろうから、どうか皆様、呆れずお付き合いのほど宜しくお願い致します。

もう一度繰り返しますが、私が喋り倒していても、どうぞ遠慮なく、割って入って、ご自身のストレスを溜めないようにして下さい。

 

2014年

9月

07日

異常気象

近年、気候がおかしい。

毎年のように国内最高気温の記録は塗り替えられて行くし、今年の6月には東京に雹が降って来た。2月には20年ぶりの大雪が関東に降って大混乱となった。

観測史上最多の記録的豪雨が各地を襲い、数十年に一度レベルの差し迫った災害に出される特別警報は、この一年ですでに4回も出された。

8月20日には広島市で大規模な土砂災害が発生し、多くの尊い命が失われた。


(お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りさせて頂くと共に、今後の復興に際し当社と致しましても微力ではありますが応援させて頂く所存であります。取り急ぎ、赤十字社に義援金を寄付させていただきました。)

 

私が子供の頃には、毎年同じような気候の繰り返しで、今と比べれば随分気象状況は安定していたように記憶している。

と言っても私が経験して知っている気候は、たかだか50年程である。

約46億年前の地球誕生から現在までの大きな時間の中で考えれば、気候は常に変化のうねりの中にあって絶えず大きく変動してきており、地球からすれば、この「異常気象」は、なんてことはない「通常の状態」なのだろう。

 

ちなみに地球誕生から現在までの46億年の歴史を1年365日のカレンダーに置き換えると、6500万年前の恐竜全滅が12月26日、ホモ・サピエンスが登場した20万年前は12月31日午後11時37分なのだそう。そして現在の我々の近代文明は、1年の最後の2秒間に当たるらしい。

地球にとってみれば、氷河期が来て恐竜が絶滅したのは、たった5日前のことなのだ。

そう考えれば、地球の気候は常に変化のうねりの中にあるという事が分かる。

 

しかし今現在生きている我々にとっては、異常気象を経験するのは初めてのことである。

日本はもはや、四季の変化を楽しめる『温帯気候』から、『亜熱帯気候』に変化して行っているのではないだろうか。

『温帯気候』の雨量を前提とした今の日本国のインフラでは、最近の『亜熱帯気候』のような雨の降り方には対応出来ず、想定許容量を超えてしまい、今後益々、災害がその頻度を増して発生すると考えられる。

しかし国土のインフラ整備(河川の護岸や山岳地帯の崖の整備や砂防工事、下水道や低地の排水)は今すぐに始めても、完成するには何十年もの長い期間を要する。

今、我々に出来ることは、「転ばぬ先の杖」で避難対策をし、自己防衛するぐらいしかないのである。

「大げさ」と言われても万全に備えることを心掛けて、もしそれが空振りに終わっても「良かった」とするくらいでなければならないだろう。

 

歴史を振り返れば、天候不順や異常気象の長期化が凶作と飢餓を呼び、飢餓が疫病を呼び、それらが政情不安を呼び、その結果、戦乱をも起こして来たように、現代人が経験したことのないような最近の異常気象は、少なからず経済にも悪影響を及ぼし、「誰もが経験したことのないような推移と環境」と言われる昨今の世界の経済環境とも色々なプロセスを経て密接にリンクしているような気がしてならない。


■参考資料 地球カレンダー http://www.ne.jp/asahi/21st/web/earthcalender.htm

 

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