2014年

8月

31日

敗者から学ぶ

勝者のマネを完璧にしても、自分も勝者になれるとは限らない。

なぜなら勝者は「運と偶然」をも見方にしていた場合が多く、その不確定なものを自分も同じように呼び寄せられるとは限らない。


しかし敗者が敗者になったのには、必ず原因がある。

その原因を探ることで、自分が敗者にならないように予防する事が出来る。

 

過去に何度も書いたが、私は歴史本が好きだ。

その中でも特に鎌倉から安土桃山にかけての戦国時代や三国志が好きだ。

リーダーの姿や組織作り、戦略や戦術、外交術、内政などは企業運営の参考になるものが多く、ビジネス本として読んでいる。

 

まず、ほとんどの勝者には、一心不乱の絶え間ない努力とブレることのない信念がある。

そして勝因として、きめ細やかな情報収集、巧みな戦略の立て方、入念な根回し、周到な事前準備、自己反省、葛藤、改善、進化の繰り返しが根底にある。

そして、それだけではなくプラスαの「偶然と運」が味方したという複合的な要素があって、勝者となった。

逆に敗者は肉体的、心理的な失速(病気等含む)、妥協があり、少ない情報で立てた場当たり的な戦略やヒュ-マンマンエラーに起因する負の連鎖等、負けるだけの何らかの複合的な原因が必ず潜む。

そしてプラスαのはずの「偶然と運」が味方をするどころか、逆に足を引っ張るというマイナスの事実が見えてくる。

 

史実の中の敗者が敗者となった原因を知ることで、今後、自分自身が企業運営をして行く上において、同じ轍を踏まないように、気をつけることが出来る。

歴史本は勝者の華やかな部分や、勝つための戦略だけが片方の視線からだけ強調されて書かれている場合が多いが、敗者の負けた原因や心理描写・葛藤を探りながら読むことで、敗者に共通する法則が見えて来る。それは企業運営にも通じるものがあり、経営戦略を立てる上で役立つのである。

 

敗者の法則の一つは、敵に襲われることは想定していても、不運、災難に襲われることは想定していないところである。

「偶然と運」が悪い方の目で出ることを想定し、保険をかけておくこと(リスクを分散しておく、代替案を用意しておくなど)をしておけば、勝者になれなかったとしても、再起不能なほどの敗者になることはなかったのではないだろうか。


2014年

8月

24日

天秤の上の「投資」と「数字」

少しでも決算書を良く見せたい、というのは、どの経営者にとっても本音であろう。

経営者としての見栄やプライドもあるし、金融機関からの資金調達を有利に進めたいという気持ちもあるし、取引先への信用力を強化したいという思いもあるだろう。

それらに加え、大企業であれば、株主総会対策もあり、経常収支と業績アピール度も計算に入れながら自社の株価の動向を鑑み、決算発表に対処していかなければならないという理由がある。

 

ところで長期的な業績の向上と永続的な繁栄を追求するためには、「将来を見据えた投資」が必要不可欠である。具体的には設備投資や、研究開発への投資、人材育成への投資だ。

しかし「将来への投資」は「今、無くては困る!」というものではないので、そのぶん容易に削りやすい。特に中小企業では経営者の一存で物事が決定しやすいので、黒字の額が前年度より減少した場合や赤字に転びそうな場合には、上記への投資を削減して、良い決算書を作ろうと思えば、たやすく出来る。

しかしそれで短期的に利益が出たとしても、あくまでも只の一時凌ぎであり、単なる延命措置に過ぎないのである。よしんば一時的に延命できたとしても、この施策を一時的であるにせよ取ってしまうと今後の成長を阻害することになり、また長期的展望による投資が行われ無かった期間の発生から起因する取り返しのつかないさまざま弊害を呼び込むことになる。

その上、正常な状態に会社を戻すには、その期間の数倍の期間を必要とすることになるであろう。

 

現在、収穫が出来ているし、収穫するのに手がいっぱいで、種植えまでする余裕は無いからと言ってそれを怠れば、数年後、十数年後には、収穫するものが何もないという状態に陥ってしまう!

経営者にとって本当に恐ろしいことは、赤字に転じることではなく、将来の展望が無くなることである。

年月が経過すれば、当たり前だが設備は老朽化し、今の技術は時代遅れのものとなり、社員たちは高齢化する。

しかしその当たり前の事を今現在、血管が凍る思いで切実に実感するのは難しい。

だから将来への投資は後回しにしてしまい易い。

しかし、「将来を見据えた投資」を永続的に行って行かなければ、企業の未来はないと思うのである。


2014年

8月

10日

無茶な要請

前回、「出来ませんと言うのが一番難しい」というブログを書いたが、今回はたった2日で5千枚の毛布を納品してほしいという要請が来た時の話である。

 

伊豆大島の中心にある三原山が大噴火を起こし、全島民1万人が島外に緊急脱出したニュースをご記憶だろうか?

噴火が起きた当初は、その珍しい風景を見に、全国から観光客が殺到し、お祭りムードであったが、突然 予想していなかったような大噴火が起き、迫り来る溶岩流から逃れるために、全島民1万人を島の外に逃そうという、空前の脱出作戦が行われたのであるが、その避難者たちへ毛布を提供するために2万枚(一人当たり2枚)の毛布を用意してほしいとの要請が当時の政府から当泉州産地内の泉大津市役所を通して、岸和田市、忠岡町、泉大津市、和泉市の商工会にあった。私が所属する組合(当時は忠岡町に所属)では、5千枚の毛布が求められた。

「毛布であれば何だっていい!」とのことであったが、しかし納品の期日はたった2日後である。

その当時の当社は、今よりもずっと会社の規模が小さく、そのため在庫の毛布は少量しかない。今から製造すると言っても、5千枚の毛布を作るとなると通常約30日はかかる。

はっきり言ってムチャクチャな要請なのである。

しかし私の口は「用意出来る!」と言ってしまったのである。

「出来ません」と諦めてしまうのは嫌であった。

11月末の寒い避難所で不安な日々を過ごされる島民の方々に、暖かい毛布を用意したいという想いがあったし、今現在困っている人たちの為に毛布が用意出来ないで、なにが毛布屋だ!という自負もあった。それに、5千枚の毛布をきっちり用意出来れば、名前が売れる!という計算もあった。

当時、私は20代だったこともあり、素人にちょっと毛が生えたぐらいの半人前に思われていたであろう。これは私にとっては名前を売るチャンスであり、ここは赤字を出してでも、何としてでも、絶対に毛布を用意してやろう!と青い私は息巻いた。

私は、過去に当社が備蓄用毛布(当時はまだ消防毛布と言われていた)を販売した問屋さんや代理店さんなど何箇所にもお願いして、当社が販売した価格に上乗せした価格を支払って、毛布を買い戻した。

当たり前だが断られたり、すでに在庫がなくなっていたりしている所も多かった。想定外の価格を言われることもあった。

しかしこちらはもう採算度外視の必死のパッチである!

「こうなったら、いくらでもいいわー!」と買い戻して、買い集めて、他の物件の納入予定を遅らせてもらって、そちらの毛布を伊豆用に回して、外注工場さんにも徹夜で毛布を作り続けてもらって、運送屋さんにも徹夜で送り続けてもらって、そうしてようやく約束の5千枚を期日までに用意出来たのであった。

 

そんな騒動の中、こんな粋な方もいた。

伊豆用に買い戻しをさせてもらったA社から送られて来た請求書を見ると、なぜか当社からお願いした買い取り価格より安く請求されているのである。しかも当社がA社に販売した際の原料価格より安くなっているのである。

これだとA社はまるまる赤字である。

間違ってるやん!と思ってU社の社長のUさんに電話をすると、「お前、赤字覚悟で毛布そろえたらしいなぁ。丸竹一人でエエかっこするなよ!」と笑って電話は切れた。

なんとも粋で男前な対応に、若造だった私は痺れて、唸ってしまった。

 

他にも安い金額で買戻しをさせてくれたところがいくつもあり、赤字を覚悟していた私であったが結局はプラスマイナスゼロぐらいですんだ。

名前を売ってやるー!と一人息巻いていた青い私であったが、結局は多くの人たちに助けられ支えられていることを改めて痛感したし、ベテラン勢のカッコ良さに舌を巻き、「やっぱり、かなわへんな」と頭を掻いた、20代の経験である。

 

 

伊豆大島のこの体験で経験値を上げることが出来、その後に続いた阪神淡路大震災では約8千枚、東日本大震災では約3万枚の毛布を2日ほどで関連先と連携して緊急に納品することが出来た。

 

2014年

8月

03日

「出来ません」と言うのが一番難しい

新幹線を作った男、島 秀雄(しま ひでお)さんという方をご存じだろうか?

話は20数年前に遡るが、テレビ番組に出演された島さんは、記者の「次代を担う人たち伝えたいことは?」という質問に次のように答えられた。

 

「出来ない」と言うより、「出来る」と言う方がやさしい。

何故なら「出来ない」と言うためには、何千何百とある方法論の全てを「出来ない」と証明しなければならない。しかし、「出来る」と言うためには、数々ある方法の中からたった一つだけ「出来る」と証明すればいいからである。

 

私は島さんのこのお言葉を聞いて、深く感銘を受けた。

 

20年程前、京都の料亭の夏の冷房対策に使うということで合成繊維の膝掛けの注文がお得意様に舞い込んで来た。そこでお得意様から当社に、「この色の膝掛けを納入して欲しい」ということで生地の端切れを色見本として受け取った。

そこで私は早速、膝掛けを織る原料の糸を染色工場さんに持って行き、染めてもらうように依頼した。

しかしテストで上がって来た糸は、見本の色とは似ているけども違う。何度かやり直しをお願いしたが、結局これ以上は無理との事だったので、他の染色工場さんを当たることにした。

しかし、2件目の染色工場さんでも、近いところまでは行くのだが、やはり見本と同じ色合いは出せなかった。その後も3件目、4件目と染色工場さんを回り歩いたが、どこでも結果は同じだった。

注文の糸量は小ロットであり、これ以上 時間を割いて染色工場さん周りをするのは、有益ではなかったが、「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」を信念としている私は、ここで「出来ませんでした」と諦めるのは、自分に自分が負けてしまったような気がして、男として嫌であった。

その当時、泉州地域には大小含めて9件の染色工場さんがあったので、「まだあと5件あるでー!」と気持ちを立て直した。しかし5件目も6件目もその次も結果は同じであった。

そして8件目を訪れた時、どうして見本の染め色が再現出来ないのか、ようやく判明した。

8件目の染色工場さんは、大手さんの子会社という事もあり、研究室まで備えた会社であったのが幸いした。見本に貰った生地の端切れは、公害問題で近年では使用が禁止されている六価クロム系の薬品を使用した染料で染められていたものだったのである!見本で渡された端切れは、きっと使用禁止の法規制がされる以前に製造されたものであったのだろう。

これでようやくお得意様に対して「出来ないことを証明する」ことが出来る!と、私はホッと肩の荷を降ろした。

 

以上のように私は簡単に「出来ません」というのが嫌いである。過去に、出来ないことがもう証明されているものや、どう考えても物理的に無理なものは、「出来ません」と言うが、仕事の依頼は、出来る限り、簡単に断りたくはないと考えている。

だから、当社はたとえ毛布1枚からでも仕事の依頼は受けさせて頂いている。

枚数が少なければ少ないほど手間が掛かるだけで、生産性を考えれば赤字になる場合も少なくない。

しかし、生産性にだけ拘るのでなく、非効率であっても、どこも引き受け手のない依頼を受けることで、次の大きな仕事に繋がる場合も多い。

また面倒な仕事でも断らず挑戦すれば、経験値をアップする事が出来るので、その経験を別の場面で生かせることもある。

 

 だから当社は簡単に「出来ません」とは言わないのである。

 

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