2014年

7月

27日

掃除とおもてなし

私は掃除魔である。社内でも先頭を切って掃除をする。特にトイレと玄関を念入りに掃除することを心掛けている。(トイレ掃除を侮ることなかれ)

私は大きい図体に似合わず、案外に神経質な部分もあるので、テーブルの上の物の向きも気になるし、誰かが物を引きずって移動している場面などを見てしまえば、注意せずにいられない。

 

思い出してみれば、私のこの性質は、どうやら祖母の影響がある。

祖母は、丸竹コーポレーションの前身である呉服屋「初代立花屋」の経営者で、神経質なほど綺麗好きであった。

井戸から釣瓶で汲んだ水を一日に何度も店の軒先に撒いていたのをよく覚えている。

「幸福や金運を呼ぶ神様は綺麗なところにしか降りてこないし、汚い所には貧乏神しか降りてこない。お客様も一緒のこと。清潔にしてるお店には良いお客様が入って来てくれるけど、汚い店に入って来るのは押し売りか泥棒くらいや。」

「神様もお客様も、まず見るのは玄関や。玄関が汚かったら、入って来てくれへんよ。」などと祖母はよく私に話してくれた。

「生きてたら、良いことも悪いこともある。なんでそうなるかと言うと、神様が家に住んでる時と居ない時とあるからや。神様の居てない期間は、あんまりええ事ない。神様は綺麗好きやから、家が汚くなってきたら居心地が悪くなって出て行ってしまう。だから神様に気持ち良く過ごしてもらう為に、いつも清潔にして、神様!家に来てくれてありがとうございますって、おもてなしせなアカンよ。」

祖母は子供の私が理解しやすいように、そのように話してくれたが、目に見えない神様をおもてなしする気持ちで、いつでも清潔にしていれば、それは結果的に、お客様をおもてなしすることに繋がり、お客様が気持ちよく過ごしてくれれば、その後イイことも起きよう、という事だったと思う。

 

先日、当社へ東京からのお客さまがあった。

お得意様の仕入れ部長が定年退職されることになり、新任の仕入れ部長との引き継ぎに来られたのである。

本来なら当社よりお伺いするべきところなのを、わざわざ飛行機に乗って大阪までお越しいただけるのだから、まさに恐縮の極みである。

私は感謝の気持ちを表したくて、いつもよりも念入りに社内全体を掃除し、特に玄関とトイレは磨き上げて、心ばかりの手土産を準備して、ご来社の時間を待った。

 

遠くからわざわざ来社して下さるお客様に、少しでも気持ち良く過ごして頂きたいという私なりの「お・も・て・な・し」である。

 

2014年

7月

20日

決算書と経営戦略

当社は半期に一度決算を行っている。

会社法や税法で決められている決算は、当社のような中小企業は年に1回だけで良いのに、半期に一度 決算を行うとなると、そのぶん時間と手間が余計にかかる。しかし決算は、人間ドックの診察結果表のようなものなので、不安症の私は、自社の健康状態や体力を、的確に把握しておきたいのである。

 

ところで中小企業の企画経営とは、経営者として自分自身が立てた経営戦略をいかに遂行していくかにある。そしてこれを行動に移した結果が決算書の数字となって表れてくるので、その数字を精査し、自身の経営戦略の結果もしくは途中結果を検証することが必要不可欠である。

それにより、「よし!このままこの戦略を続けていけば良い」という時もあれば、軌道修正が必要になる時もある。もしくは、その戦略自体を抜本的に見直さなければならない場合もある。

半期に1度のペースで人間ドックを受診(決算)していれば、それだけ早く、弱っている部分を発見でき、早期に改善することが出来る。

もちろん経営は、中長期的な視野を持たねばならず、短期的な数字に左右されて経営戦略をコロコロ変えて良いわけではない。

自社の現状をしっかり把握した上で、広く長い視野で、「たえずの見直し」と「次の一手」を最重要課題として考える。

それが継続的な繁栄を創り出すためには、必要不可欠なのではないだろうか。

 

また当社では、確定決算の時には、税務署印の押された決算書類を、要望がなくても取引先様等に送付している。

たとえ業績が芳しくない年であったとしても、それを積極的に開示することで、信用を得ることができ、次に繋げられると考えている。

 

決算書は税務署や銀行に提出するためだけのものではない。

自社の企業経営の見直すべき点と、先の予測、次の戦略、それらについてのヒントが隠されている羅針盤のようなものである。

だから事業の舵取り役である経営者は、「景気動向」、「経営環境」、「顧客志向」という3つの大海の「現状の把握」と「その先の予測」を行いながら、神経を集中させて羅針盤と向き合い、自社が進むべき正しい道を見つけ出さなければならないのである。

 

 

2014年

7月

13日

さんずの川は渡らない!

おかげさまで25年度の税務申告、決算発表を先月末に無事済ませ、一つの区切りを終えたところで、経営者として初心に返る意味も含めて、松下幸之助翁の著書に書かれてあった 大阪商人の「さんずの川は渡らない」という心得に言及してみようと思う。

いろいろな解釈があると思うが、ここから先はあくまでも私の解釈としてお許し頂きたい。

 

まず「さんず」とは、冥途にある三途の川のことではなく、「役つかず」「判つかず」「金貸さず」の3つの事である。

 

①    「役つかず」

中小企業経営者は、たとえ経営が軌道に乗り始め少しばかり余裕が出来たからといっても、事業に関係のない会合の役職に就いてはイケない。

事業外の役職に就けば、そちらの方に時間を取られ、経営者としての時間がおろそかになる。

事業外の事にまで、心を砕いたり、責任を持ったりせねばならず、肝心の自社の事業に専念出来なくなる。

 

②    「判つかず」

これはずばり「保証人にはなるな!」ということである。

他社や個人の保証人を安易に引き受けてしまえば、連帯してその債務を等しく負うことになる。

たとえば自社の経営が順調であっても、不幸にも倒産するような会社の債務を保証してしまえば、万事休すである。

 

③    「金貸さず」

余程のことが無い限り、貸借関係は持つものではない。

但し、生命に係る「命銭」という事態もあるにはあるので、ともに命を掛ける覚悟のある関係ならば別である。しかし金を貸す場合は、返って来なくても良いと思える額までにするべきである。

 

自分は借りても、人には貸さないとは、いかにも大阪商人らしい心得であるが、大阪商人の気質として、そうは言っても価値があれば金を払い、付き合いを大切にしているから、役職を頼まれれば断れずにハリキってしまう・・・。そんなお調子者の大阪人であるからこその、この戒めであろう。

 

ところで私にとって、大阪商人と並んで、忘れてはいけないのが近江商人である。

近江商人の「三方良し」という、「売り手と買い手がともに満足し、社会貢献もできるのがよい商売である」というこの言葉は、商売の基本であり、当社の企業理念の中にも明記されている。

 

今後TPP条約の締結がなされれば、社会構造が大変革し、益々 経営環境の厳しさはその度合いを増していくであろう!

近代商社の原型を作った商人たちの経営哲学からヒントを得て、今一度 己の兜の緒を締め直すつもりで、本日はこれを綴った。

 

 

2014年

7月

05日

むしろ肩の力が抜けた

天理柔道部は、数名のオリンピック金メダリストを輩出している。

お名前は伏せておくが、とある金メダリストの先輩から、こんな話を伺ったことがある。

酒席での話なので、私の多少の記憶のブレはお許し願うこととしよう。

 

「立花よ、俺はな、ある時まで自分のことを柔道の天才だと思っていた。

しかし大学3年の全日本強化合宿で、今まで勝てた選手になかなか勝てなくなってしまった。なぜ勝てなくなってしまったのか、それが分からず悩み苦しんでいた時に、コーチから思いがけない事を言われた。『お前は柔道の天才ではないぞ』と。『人には進歩のスピードというものがあって、それは人それぞれ違う。お前は人より進歩のスピードが速かったから、これまではトップで居続けることが出来た。けれど進歩の遅い選手もコツコツ稽古を積み重ねて実力を付け、今や、その差が縮まって来ている。お前の肉体的なポテンシャルは、もう天井まで来ている。今のように真正面から戦うだけでは、近いうちに追い越される日が来るぞ。』と言われたよ。でも俺は、それを聞いてフッと肩の力が抜けた。

それまでは只々、強くなりたい一心で、やみくもに練習に取り組むだけだったけど、自分が天才で無いと分かったからには、試合で勝てるように色々と戦略を立て、工夫するようになった。

例えば、わざとスキを作り相手を油断させたり、泥臭い戦い方も厭わないようにした。そうしたら、数か月たったころから、たとえ試合で1本勝ち出来なくても負けなくなった。そしてその後、オリンピック選手に選ばれて、金メダルを取ることが出来たんだ。」

 

以上が、某先輩から聞いた話である。

 

天性の身体能力、才能、勘を兼ね備えた怪物のような天才も世の中にはいる。

この先輩は、そういった部類の天才ではなかったのかもしれないが、努力することにかけては天才であったのだろうと私は思う。

小学4年から柔道を始められ、言葉に尽くしがたい地獄の練習の歳月を重ね、極限まで自分を磨き追い込んで、大学3年の時に初めて自分の限界が見えて苦しんだ。

しかしそこで諦めることなく柔道漬けの生活を続けられ、「戦略の見直しと更なる工夫」を繰り返すことにより、自分の限界を押し上げ、さらに極めて行き、ついにはオリンピック金メダリストとなった。

 

普通ならば、自分は柔道の天才だと信じているところに、『お前は天才ではない』と否定されたら、落胆するだろう。

しかし先輩は「落胆」ではなく、「フッと肩の力が抜けた」とおっしゃった。

その心境を想像してみると、やれるべき事の全てをやりつくして、これ以上何をどうしたら自分は進化出来るのか?それがもう見つけられないほど限界まで自分の能力を極めていた。それなのに、今まで勝てた選手相手に、勝てなくなって来る。

それは出口の無い袋小路にいるような気持ちだったのではないだろうか。

そんな時に、「お前は天才ではない」と告げられ、目から鱗が落ち、見えなかったことが見えるようになった。

天才でないならば、これまでとは違う方法でやればいい!と、今やるべき新しい事(出口)を見つけ、安堵して肩の力が抜けたのではないだろうか。

 

このような心境に到達するまでには、いったいどれほどの凄まじい試練と、それを乗り越える努力が、先輩にあっただろう。

やはり、先輩は、世界一級の努力の天才であると、私は確信した。

 

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