2014年

3月

30日

ライバル

先日、NHKの「ヒローたちの名勝負」という番組で、講道館柔道「全日本9連覇・ロス五輪金メダリスト」の山下泰裕先生と、「ソウル五輪金メダリスト」斉藤仁先生の数年間に渡る戦いの物語が再放送された。
両先生の凄まじいまでの諦めない執念、そして柔道への情熱が見てとれる素晴らしい物語であった。

その番組の中で、山下先生は斉藤先生が居なかったら、もっと早く引退していたろうし、斉藤先生は山下先生が居なかったらあそこまで強くなっていなかった、と語られていた。
お二人は、切磋琢磨しながら競い合い、また高め合える最高のライバルで有ったのだろう。
とは言ってもライバルが四六時中、隣に居て、一緒に練習して、いつも競い合えるわけではない。
ライバルと戦うのは本番の試合でだけだし、ライバルと競い合うとは言っても、一緒に練習しているわけじゃないから、アイツが10回なら俺は15回!という風にもいかない。
実際にはライバルと顔と顔を合わせて競い合っているのではなく、ライバルの姿を心に写し込み、自分の心の中に居るライバルと戦う。
練習で疲れて、「今日は、もう終わりにしよう」と思った時に、ライバルの顔を思い出し、「やっぱりあと10回やろう」と思いなおす、もうしんどくて立てないと思った時に、ライバルを思い出して立ち上がる。
結局それはライバルと戦っているというより、もうやめようと言う弱い自分と、まだまだやるぞ!負けたくない!という強い自分との戦いなのではないだろうか?
柔道の歌の一説に♪人に勝つより自分に勝てと~言われた言葉が胸に染む~♪とあるが、まさに両先生は、ライバルに勝ったのではなく、最終的には自分自身に勝ったのであろうと感じた。

 

ソウルオリンピック。
期待されていた柔道は最終日まで金メダルがゼロの総崩れ。
何が何でも金メダルを取らなければならないという凄まじい重圧の中、最後の望みを託されたのが斉藤先生だった。
準決勝、対戦相手は地元韓国の選手。

日韓両国の地鳴りのような大歓声の中、斉藤先生得意の投げ技が決まらず苦しい戦いが続く。
相手選手が帯を結び直す間にも、興奮した観客たちの恐ろしいほどの大歓声が響き続ける。

そんな中、斉藤先生が何かを探すように視線を動かす。

実況席に座る山下先生を捕らえると、少しの間、視線を送る。

うなずく山下先生。

実況アナが「今斉藤がチラッとこちらを見ましたか!?山下さんの方を見たんじゃないですか?!」と驚く。

 

ライバルが単なる敵ならば、こんなシーンは見られなかったであろう。
ライバルが居るから自分を磨き高める事が出来る。ライバルが居るから自分自身に勝つ事が出来る。

真のライバルとは、もうしんどくて立てないと思った時に、その顔を思い出せば、立ち上がらせてくれる存在なのだろう。

そして自分の苦しさを誰よりも分かってくれる一番の理解者なのだろう。

私はこの番組を観て、現役時代の感動が蘇ると共に、獅子奮迅して目標達成する喜びを改めて思い出させてもらえ、自分自身を鼓舞する良い刺激になった。

 

斉藤仁先生と。
斉藤仁先生と。
山下泰裕先生と。
山下泰裕先生と。

2014年

3月

15日

魔法の言葉

その昔、ある人に言われた言葉が忘れられない。
少年時代、私には一回り年上の「吉川のアンちゃん」という兄のような存在の人が居た。

スポーツマンでボクシングが得意で相撲も強かった。
吉川のアンちゃんはボクシングをはじめとして、色んな事を教えてくれた。
良い遊びも悪い遊びも教えてくれるカッコイイ年上のアンちゃんであった。
中学生時代のある時、地元で数日間お祭りが開かれる事になり、屋台を出すことになった。

吉川のアンちゃんも屋台を出すというので、私ももちろん一緒に手伝うことにした。
焼きそばの屋台を担当する事になったので、アンちゃんに教わりながら、屋台を設営したり、荷物を運び入れたり、キャベツを切ったりした。そばの焼き方も教えてもらった。
アンちゃんは焼きそば屋だけではなく、他の屋台も手伝いに回っていたので、私がほぼ店主だった。その事が中学生の私には嬉しくて、誇らしくて、張り切って大量の焼きそばを焼いて準備した。
けれども何故か私の屋台が繁盛する事はなかった。はっきり言って全然売れなかった。
時間が経つにつれて気持ちも沈んで行き、心が萎えてしまった。
そんな落ち込んでいる私を見てアンちゃんは、「何をクヨクヨしてんねん!アカン時には下を見ろ!」と怒った。「あの綿菓子屋なんか、もっと売れてないぞ。それにな、今日より売れんかった時なんて今まで何回もある。」
アンちゃんの、その言葉を聞いて私は少し救われたような気がした。
翌日は、どういうわけか次から次へと焼きそばが売れた。嬉しい悲鳴を上げながらソバを焼き続けた。

用意していたキャベツもなくなり、ようやく人が途切れた時、私は「今日は沢山売れたし、もう屋台閉めてもいいんちゃう?」と言うと、アンちゃんは「イケてる時には上を見ろ!あそこのお好み焼き屋は、もっと売れてるで!」と言って、私にキャベツを買って来るように言いつけた。

 

上ばかり見ていては、息切れしてしまうし、自分が上手く行ってない時には落ち込んでしまう。

下ばかり見ていては、進歩出来ないし、向上心が芽生えない。
アカン時には下を見て腐らないように踏ん張って、イケてる時には上を見てもっと頑張る。そういう姿勢をアンちゃんに教えてもらった。

 

私が、この言葉をふと思い出す時は、実はイケてる時よりアカン時の方が多かった。
「上を見ろ」も「下を見ろ」も言葉を変えれば、視線を「自分」から「外の世界」へ移せと言うことだ。上手くいかなかったり、失敗したりして落ち込んだ時、または恥をかいてしまったり、恥をかいてしまうかも・・・と緊張した時には、自分以外の外の世界に考えを巡らせればいい。
凡人のあなたが犯すレベルの失敗や恥ずかしい失態は、現在過去の何千人、何万人が経験したありふれた事だ。とんでもないレべルの失敗なら大いに落ち込むべきだが、そうでないだろ?それに、あなたより、もっともっと悲惨な失敗をした人たちは、数え切れないぐらい居る。
そういう風に考えると、どんなに落ち込んでいる時でも元気が湧いて来て、また前向きな気持ちになって進んで来られた。
私にとってアンちゃんのこの言葉は、魔法の言葉なのだ。

2014年

3月

09日

強い企業の体質作り

昨今、巷の書店では「高体温に体質改善しよう」、「高体温は病気になりにくい」というような類の書籍を多く見かける。
有難いことに、私は子供のころから平熱が37度近くという高体温な体質である。高体温から来る代謝の良さと免疫力の高さから、この歳まで病気らしい病気は、ほとんどしたことが無い。
学生時代に集団食中毒があり全寮生約60名中の内、58名が罹患した時も、私は何ともなかった。寮長の先生からは「お前ら2人は、どんな時代になっても、どんなところに流されても、何を食っても、生きて行けるな!」とお褒めの言葉を頂いた。(笑)

しかし油断は禁物なので人間ドックは欠かさず受けている。

 

前置きが長くなってしまったが、今回は「企業体質」について述べたい。
始めに企業を人間の体に置き換えると、その共通点の多さに驚く。例えば「体格」「体力」「体質」。
まず「体格」は、売上高や社員数、会社の総資産等、すなわち会社の全体規模の大小であろう。

次に「体力」はズバリ金融や経理の状況であり、すなわち総資産経常利益率や自己資本比率であろう。

大きいに越したことはないが、「体格」「体力」が強大だからといって必ずしも企業の存続をこの2つは保証するものではないと思う。
体格も立派で体力のある格闘家が、必ずしも長生きとは言えないのと同じで、長生きするには「病気になりにくい体質」が重要な要素である。
では「体質」とは具体的に何かというと、経営者を含めた全体の人材の質であり、また経営方針・戦略の周智徹底、コストパフォーマンスやリスクマネージメントであろう。
長期安定経営の企業を目指すならば、「企業体質の強化」が必要不可欠だ。
体格の大きい人でも、病にかかれば長生き出来ない。そこに体力があれば、病と闘うことが出来、もしかしたら復活することも出来るかもしれない。
けれども「長生き」を目標にするのならば、体を大きくすることよりも、体力を付け、病気にならない体質を作り、それを維持し続けることが大切だ。
勘違いされやすいのだが、当社が新規事業へ進出するのは体を大きくする為ではなく、経営環境の変化に対応しやすくする為であり、「病にかからない為の強い体質作り」の意味合いが強い。


ところで「体格」「体力」「体質」と並んで重要なのが、「健康に気を配る生活習慣」である。
自分は病にかかる可能性がある事を前提とし、その病を予防する為に、ウガイ手洗い、定期健診を行なうのと同じように、過信や油断をせず「たえず見直し」を行って不安要素を改善することを習慣化することで、企業の長生きは得られるのではないか。
こうして考察してみると、企業も人間も、どちらも生き物であり、やはり同質なのだと改めて感じた。